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老いを学ぶ

2020年03月17日

特別養護老人ホームが、”姥捨山”(うばすてやま)だった頃。

高齢者問題に詳しい、株式会社シニアライフデザインの田中利和さんに伺いました。

――田中さんは、昭和21年生まれ。その昔の話から伺っていきたいと思います。

大学を出て建設会社に就職しまして、1970年頃に特別養護老人ホーム(以下「特養」)の設計を担当したんです。今の特養とは、ぜんぜん違いますよ。8人部屋でね、人と人の間はカーテン1枚で仕切られているだけ。部屋の中にはトイレもない。外から見えるようになっているから、プライバシーも何もあったものじゃない。学校の教室みたいな感じ。
しかも、部屋は男女一緒よ。特養の理事長に訊いたら「男女一緒のほうが、皆 行儀よくしているから」とか言ってたけど・・・。

――それは、公共の施設なのでしょうか?

いや、民間の施設です。ただ、建設費も8割くらいだったと思うけど補助があったし、運営にも国からの助成金が出ていたから経営的には安定しているわけです。養鶏場をやめて、社会福祉法人を作ってその土地に特養を建てて、息子に継がせるといった人もいたね。

――カーテンだけで仕切られたところに詰め込まれる感じって、嫌ですよね。本人も子供にしても。

当時、特養のような施設の位置づけは「国からの施し」だったわけです。困窮者の救済、生活保護的な意味合い。だから、利用者の意思は反映されにくい。「利用者」が「提供者」と契約する仕組みなら利用者の意思が反映されるけど、国という「提供者」が権限に基づいて「利用者」を選ぶという、いわゆる「措置制度」だから最低限のことしかなされない。
介護認定の仕組みもないから、入所の可否も役所の人間が個別に判断していましたしね。利用者だって自己負担をせずに施しを受けている立場だから、意見が言いにくいでしょう。

――親をそういう施設に入れる子供の心理は、今と違いますか?

ぜんぜん違いますね。その当時は「親の面倒は子供がみる」のが基本だから、親を施設に入れるのは、後ろめたい行為だった。周囲から、「親を施設に入れたんだって」と白い目で見られたような時代です。自己負担なし、税金丸抱えで面倒をみてもらうわけだから。
後ろめたさゆえに、面会にも来ません。まさに「姥捨山」。ちなみに、特養には霊安室が必ず設置されていました。
今の特養は、昔に比べたら、子供たちが面会に来るでしょう。後ろめたさはまだあるでしょうけど、昔とは違います。「親の面倒は子供がみるもの」という考え方が変わってきたし、同居していないから現実的に面倒がみられないという状況の人も増えました。何より、介護保険制度ができて介護保険料を負担するようになったから、その分、他人に面倒をみてもらうことに後ろめたさを感じなくなってきたんでしょうね。

――「姥捨山」という話でしたが、施設側の入所者への対応はどんな感じでしたか?

奈良で、180床くらいの特養の設計をしたことがあります。既に入所者がいる平屋の特養がありまして、その横に新しく2階建ての特養の建物工事をしました。
基礎工事で杭を打つんですけど、今と違って、上からゴーンと打ち付けるので、それは非常に大きな音がするわけです。急にそんな大きな音がしたら、ビックリするでしょ。横の建物に既に入っている高齢者たちがいるわけだから、そのまま工事をする訳にいかないと思って、「どうします?」と理事長に訊いたんですよ。
そしたら、「いいよいいよ。ちょっとくらい刺激があったほうがいいでしょ。」って言ったんですね。施設側の入所者に対する姿勢というのは、そんなまさに「姥捨て山」という感じでしたね。

――当時、今のような高齢化社会を想像してましたか?

いやいや、想像もしていなかった。高齢化も少子化も話題にもならなかったし、そういう現象も起きていなかったから。
意識するようになったのは1990年くらい。単身高齢者の問題が出てきつつあって、滋賀県のNPOが「単身高齢者が共同生活を送れる家」を作ろうという構想を立てたんです。仲間同士でそこに移住して住む、今で言うシェアハウス。その構想に参画して色々と検討しました。そのあとも京都で、ある学校の所有地に老人ホームを建てる計画が持ち上がって、相談を受けました。
ところが、そんなにうまくいかないんです。単身高齢者だから生活支援やコミュニティ形成をサポートするためのスタッフが必要になりますけど、スタッフの人件費などを考えると入居費が高額になってしまう。当時は介護保険制度がなかったから、全て自己負担で賄わないといけないわけだからね。

――「高齢者住宅」の形が模索されていた時代ということでしょうか。

そう。だから、変なのもあったね。
阪神淡路大震災のあとに、神戸に賃貸住宅で「高齢者向けコーポラティブ・ハウス」ができた。復興の一環か何かだったから、ほぼ税金で建てられたと思うね。コーポラティブ・ハウスだから入居者の自由意志で暮らせるという触れ込みだったけど、一方で、入居している高齢者たちで役割を分担し、自分たちだけでマンションの運営を行わなければならないわけです。
もともと見知らぬ同士が集まって住んで、誰のリーダーシップも支援もなしに、そんなことができる訳がないでしょ。若者とは違うんだから。企画側が、高齢者を知らなさすぎる。
案の定、募集したら入居者ゼロ。高齢者向けの集合住宅には、コーディネーターや支援スタッフが必要なんですよ。

――その後、2000年に介護保険制度が出来ました。どう感じましたか?

やっとここまで来たか、という感じかな。公助が手厚くなって、高齢者福祉の分野で打ち手が増えた。それと、皆が介護保険料という形で負担をするようになったから、サービスを受けることに対する後ろめたさがなくなってきましたね。昔のような「行政からの施しを受けている」という意識から、「負担しているからサービスが受けられる」というように変わってきた。昔は、提供者主体の「措置制度」だったけど、今は利用者がサービスの内容を吟味した上で決定する「契約制度」になった。
介護保険制度によって、打ち手が増え、後ろめたさがなくなり、意思を持って決められるようになったわけだから、高齢者やその家族にとって良かったと言えるでしょうね。


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