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老いを学ぶ
2016年08月23日
老いの工学研究所提供
相馬の馬乗りは、みんな馬鹿だ。【西内清実さん(84歳)南相馬市 西内染物店】
老いの工学研究所
西内清実さん(84歳)南相馬市 西内染物店
(撮影:小山一芳、文:代田耕一)
「相馬の馬乗りはみんな馬鹿だ」と笑う西内さんは、「相馬野馬追」を裏方で支え続けてきた染物職人だ。平将門の時代から千年以上続く「相馬野馬追」は五つの地区が互いの名誉かけて戦う、五百余騎が一堂に会する勇壮な行事。先祖伝来の甲冑をまとい、旗指物を背中になびかせて騎馬武者が街中を行進する「お行列」、兜を脱ぎ白鉢巻を締めた若武者が駿馬にまたがり疾走する「甲冑競馬」、花火で打ち上げた神旗を数百の騎馬武者が一斉に奪い合う「神旗争奪戦」から構成される。自宅の馬小屋で育てた馬で参加するのが誇りであったが、あの東日本大震災で状況は一変する。
祭りの担い手の多くが津波で亡くなり、丹精込めて育てた馬や先祖伝来の甲冑や装束、旗指物も流された。さらに住民は原発事故で避難を強いられ、多くが県外に去った。とても「相馬野馬追」を開催できる状況ではなかったが「相馬野馬追のために生きている」と言って憚らない祭りの担い手たちは決して諦めなかった。
散り散りになった住民に連絡し、全国を駆けずり回って震災後わずか4ヶ月、規模を縮小しながらもなんとか開催にこぎつけ、「相馬野馬追」は途絶えることなく引き継がれた。馬(元競走馬)や甲冑は参加者が自腹でかき集めた。西内さんが愛情をもって「馬鹿」と形容する「相馬の馬乗り」というのは、この勇壮な祭りのためにすべてを投げ打って集まり、荒っぽい神事に命をかける男たちのことだ。しかし、騎馬武者が背負う旗指物や陣羽織、袴など参加者の装束すべてを手がけてきた西内さんも決して「相馬の馬乗り」にひけをとらない。
旗指物とは戦国時代の戦場において、武将が己の所在を明示するため鎧の背中にさした絹羽二重の旗のこと。友禅で染め上げたのち、余分な染料やもち米で作った糊を洗い流すため川でさらす。実は西内さんは十数年前に長男に家業を譲って引退したのだが、三代目の長男が3年前に急逝、やむなく80代にして現役に復帰した。現在は妻と長男の嫁を含め、家族3人で家業を続けている。
震災から5年たった今「相馬野馬追」は完全に復活したが、それを支える旗指物や武者装束をつくることのできる職人は西内さん唯一人。「相馬野馬追を絶やすわけにはいかない。伝統を次世代に引き継ぐまで仕事を続ける」と腹をくくった西内さん。体中に鍼をうちながら旗指物を何十枚も染め上げた。今年の「相馬野馬追」には親子三代の騎馬武者がそろう姿があり、背中には旗指物が誇らしげにたなびいていた。
「祭り」は人々に生きる力を与え、かつ地域を強く結びつけてきた。この祭りを守るために裏方として若者たちを支え、知恵や技術を次世代に伝えようとしている西内さん。老いゆく身の役割・醍醐味を強く示してくれているのでないだろうか。
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