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老いを学ぶ
2016年03月30日
老いの工学研究所提供
五十にして天命を知る【北澤一京さん(75歳) 江戸木彫刻師】
老いの工学研究所
北澤一京さん(75歳) 江戸木彫刻師
(撮影:小山一芳、文:代田耕一)
江戸の華といえば祭りと神輿。北澤一京さんはその神輿に施される「江戸木彫刻」の代表的な職人だ。「まるで生きている」と評されるその作品は見るものを圧倒し、思わず手を合わせたくなる「何か」特別なものを感じさせる。 彼の代表作である成田山新勝寺総門の獅子頭や深川の富岡八幡宮に鎮座する日本最大の神輿も同様に、見るものを釘付けにする「何か」を持っている。一体この「何か」はどこから生まれるのだろうか。
昭和15年栃木県生まれ。小さいころから手先は器用で風呂焚きの番をしながら薪を小刀で削り、人形やコケシを彫っていたという。
昭和31年、15歳で上京。弟子入りした浅草の親方が、とにかく厳しくて何も教えてくれない。住み込み奉公で道具を揃えるのも一苦労だ。最初に親方からもらった小遣いでノミを一本買い、その一本で出来る仕事をとにかく彫る。少しづつ腕が上がるにつれ一本一本揃えていったノミは現在、300本を優に超える。すべて既製品ではなく、打刃物職人が叩いてつくった刃に自分で柄をすげたものだ。
昭和42年、30歳前に独立し「北澤木彫刻所」を設立。神輿や山車をはじめ各種の社寺の建築彫刻を一心不乱に手がけてきた。ところが50歳を前にして突然、苦楽をともにしてきた妻が他界してしまった。北澤さんは「心が空っぽになり、何もやる気がおこらならくなった」という。そんな時、故石原裕次郎の夫人から仏壇制作を依頼された。「仕事としてではなく女房への供養と思って必死で彫った」 という。完成した仏壇の前で夫人は動こうとしなかったそうだ。 北澤さん独特の作風が確立したのはこの時からで「彫られるべき物は、もう木の中にある。自分は余分なものを取り除くだけだ」と考えるようになった。
それから数年後、江戸三大祭の一つ「深川八幡祭り」で知られる富岡八幡宮が、関東大震災で焼失した紀伊国屋文左衛門奉納の神輿を復活させることになり、北澤さんが彫ることになった。 神輿が完成し、東京湾から隅田川、永代橋までを厳かに進む「船渡御」という奉納儀式が盛大に行われた時のことだ。見物していたお年寄りが「長く生きていて良かった」と話していたのを偶然聞くことができた北澤さんは、その時「この仕事を続けてきて本当によかった」と素直に思えたという。
「何か」特別なものは才能と努力そして道具だけでは生まれない。北澤さんはその身にふりかった試練により、天から与えられた自分の使命を悟り、そのことに感謝できる境地にようやく達した。つまり「天命を知る」人のみが「何か」特別なもの、見るものを釘付けにする「何か」を生み出し得るのである。ふと北澤さんの人生が孔子の人生観と重なっていることに気づいた。子曰く「「吾、十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」。
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